大阪高等裁判所 昭和37年(う)41号 判決
判決理由〔抄録〕
そこで、本件事故現場である交差点(以下「本件交差点」という)の手前において、被告人に警音器吹鳴義務があったかどうかを検討することにする。法第二〇条の委任に基き令第二九条では、車馬又は軌道車は、見とおしのきかない交差点若しくは上り坂の頂上付近、こう配の急な下り坂、曲角、横断歩道、雑踏の場所又は公安委員会の指定する場所を通行するときは、徐行しなければならない。この場合において、公安委員会の指定する見とおしのきかない上り坂の頂上付近、曲角、屈曲のある場所その他の場所においては警音器その他の合図をしなければならないと規定しているが、本件事故発生場所は公安委員会指定の警音器吹鳴場所でないことは、本件証拠上明らかであるから、右令第二九条から当然には被告人において本件につき警音器吹鳴義務が存在するとは言えない。この点原判決の令第二九条により義務ありとするのは誤りである。却て、令第二九条とは反対に令第一七条第一号では、車馬の操縦者は、法令の規定による場合及び危険防止のためにやむを得ない場合の外は警音器を鳴らしてはならないとし、一般的に警音器の吹鳴を禁止しているのである。しかし、その禁止の除外例である危険防止のためやむを得ない場合には警音器吹鳴禁止から除外されるのみならず、むしろ、かかる場合には条理上警音器の吹鳴義務が存在するものと解する。もっとも、この危険防止のためやむを得ない場合とは、単なる安全確保という消極的な事情があるに過ぎない場合でなく、具体的な危険が存在し、その危険の防止のためやむを得ない場合を言うものと解する。ところで、本件においては、証拠によれば、前判示のとおり本件交差点の東方手前、本件大道路の歩道際に小型四輪乗用自動車が一台西向に駐車しており、その駐車自動車の直前から北に向い六歳の子供が走り出たのであるから、具体的の危険が存在していたのであって、被告人において予めこの子供に気付いていたならば、当然警音器を吹鳴すべき義務のある状況が存在したわけである。しかし、被告人においては本件交差点の手前の小型四輪乗用自動車の駐車には気づいていたが、(この程度では未だ具体的危険がありとは言えない。)子供には同人が駐車自動車の前に走り出るまでは全然気付いていない。従って、この子供に予め気付かなかったことについて過失の有無が問題になるとしても、被告人の所見を前提とすれば、被告人に対し危険防止のためやむを得ず警音器を吹鳴すべき義務が存在したとは断定できないところである。
次に、本件において被告人に徐行義務違反があったか否かを検討するのに、前叙のように令第二九条によれば、車馬は、見とおしのきかない交差点では徐行しなければならないことになっている。もっとも、この徐行の程度は、必ずしも一定しておらず、交差点の見とおしのきかない程度、互に交差する道路の広狭、人車の通行の多少、その他危険発生の虞の有無、など諸般の事情を斟酌して判定すべきものと解する。けだし、法第一八条によれば、諸車は狭い道路から広い道路に入ろうとするときは、一時停車するか、又は徐行して広い道路にある車馬又は軌道車に進路を譲らなければならないし、又令第一〇条によれば、歩行者は諸車の直前又は直後で道路を横断してはならないのである。又は歩道、車道の区別まである交通頻繁な大道路を進行する自動車に、これと交差する小道路との交差点ことに、しかもそれが横丁にも等しいような道路との交差点ごとでも、いつ子供等が飛出すかも知れないとして、何時でも直ちに停車することができる程に徐行しなければならないとすれば、交通麻痺状態を現出することにもなる。本件証拠によれば、本件交差点は、その交わる一つの本件大道路(尼崎平野線)はコンクリート或いはアスファルトの舗装の巾員一七米の大道路で、その両側には各約三・五米の歩道(この歩道部分は交差点の範囲内には入らない)を有し、その交通量は極めて頻繁である。これに対し、本件小路は巾員三米の小道路で、しかも本件大道路とは丁字形をなし、この本件小路から本件大道路の横断人車は極めて少いのである。且つ本件小路は、その存在は、本件大道路からは一般通行車には認め難い状況で、いわゆる横丁にも類するものである。しかも、なるほど、本件大道路から本件小路の内部の見とおしはきかないが、本件大道路は被告人が進行した東から西へは約千分の三十三の下り勾配でもあり、本件当時、本件交差点の東方歩道に接し、諸車が駐車していたとは言え、本件交差点南側の巾員約三・五米の歩道の部分の見とおしは一応きく状況にあったことが認められる。してみると、本件交差点東方手前における法令の要求する徐行程度も、原判示のように、何時でも直ちに停車できるほどに厳しいものとは思料せられない。ところで、本件証拠によれば、本件事故発生当時被告人の乗車した軽四輪自動車の本件交差点にかかる東方直前の進行速度は、その現場付近の制限時速軽自動車三五キロより余程おそい時速約二〇キロないし二五キロであった(この時速につき、弁護人の所論では、司法警察員の実施した本件実況見分に際して被告人の指示した制動距離二・六米から原審で取調べられた鑑定書を援用して時速約一〇キロであったというが、果して被告人の被害者発見から停車までの距離が被告人の指示のとおりであったか疑問であり、原判決も約一・三米手前で発見したと認定しているものの、これも約であり、被告人の平素の運転経験から割出した、被告人の司法警察職員、検察官に対する約二〇キロないし二五キロの時速の供述の方が措信できる。)ので、この程度の時速であれば、本件のような状況の場所としては徐行義務に反したとは断定し難い。してみると、被告人には原判決がいうような、警音器吹鳴義務違反、徐行義務違反があったとは言えないわけである。